去年2011年コナ・ハワイで開催されたアイアンマン世界選手権では、多くの憶測や予想を覆しChrissie Wellingtonのレース2週間前の大きなアクシデント後に、奇跡的な優勝や、Craig Alexanderの3度目の世界タイトル獲得やコースレコード更新等、次世代へ繋げる素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられた。
この出来事が起こる中で、更なる注目を浴びたのが、ランでの猛追で、ランナーアップとして、2位でフィニッシュしたPete Jacobs(ピート・ジェイコブス)通称PJである。2004年にデビューし、始めて2006年に、プロとしてハワイで17位でフィニッシュし、その後、2008年にハワイにて再出場、この時60位という結果に終わったこともあった。それから3年間、徐々にその実力とパフォーマンスを成長させ、2009年は8位、2010年に9位で再度入賞果たし、そこで最速ランラップを得る程の存在感を見せ始めてきた選手である。あのランに定評があるハワイ世界王者Craig Alexanderよりも速く走れる選手がいるのかと、大変大きな注目を浴びた。
2011年シーズンを通して、このPJ(Pete Jacobs)が、ハワイに向けてのシーズンや世界選手権レース中、そして2位でフィニッシュした時、それぞれの瞬間どう感じていたのか、彼とコンタクト取り、去年ハワイ後に書いたブログを、2011年コナアドベンチャーとして紹介し、2011年と2012年の彼の心情やシーズンを比べて、どう変化が起っているかを分析してみたいと思う。
2011年コナアドベンチャー (from http://www.petejacobs.com)
どこから話し始めていいかわからない。最後のブログはいつだっただろうか?たぶん、コナに向けてのトレーニングを始める前だったかな。このブログを書こうと思ったきっかけは、コナのレースウィークに向けて、当時の自分の気持ちを説明させてくれる、その裏側や真相を話したいと思ったからだ。そして、いまから書こうとしている、レース後の感情や、2位でハワイを終えたことは、自分の将来の展望にどう影響したか、このブログで伝えながら終えたい。
2011年5月5日に、アイアンマン・オーストラリアで優勝した時、第2中足骨の疲労骨折を引きずっていた。それから2週間は、練習はゼロで、次の3週間も少しの練習しかしなかった。スイムを始めたのは、5月の暮れから始め、バイクは、6月中旬から、そして、ランに関しては、7週間ものオフの後に、6月の終わりくらいから、ためらいつつ始めた。
ハワイを唯一の目標にして、しっかりとしたランのトレーニングはしないで、スイムとバイクの体力を取り戻すために、自分自身を勇気づけていった。スイムは、いままでと変わらないコンディションで、コナに向けてのバイクの体力は、いままでよりも強くなっていることに、とても嬉しかったし、モチベーションが上がった。ランは、うまくいかなかった部分があったが、8月14日のアイアンマン・フィリピンでレースした時は、ラン自体は平均的な感じで、ビッグイベント(ハワイ)までのカウントダウンが週変わりで始まっていた。ランの練習セッションはしていたが、怪我する前程のランナーとしての良いフィーリングはなかった。ランニングが、自然で簡単な物に感じなかったのは、たぶん最初にスイムとバイク練習から、筋肉が大きくなったことで、足と脚周りが、固くなっている感じがしてて、これがランの時に気になって、注意深くなっていた。
8月18日、ランをスタートし始めた時、この際とても自然に感じた。レース前に、しっかりとした距離を走ることを、おろそかになっていることは、わかっていたが、いつも安心できるくらいの練習量よりも、それ以下の量でやり遂げて行った感じがあった。それがあって、すべてをハワイに集中することに、目標を定めた。これは、最低限に他の用事で外出することを極力少なくして、どんなに余裕な時間があっても、日中は、ほとんど特別なことはせず、ただ、睡眠、トレーニング、マッサージ、しっかり食事を取ることに専念した。去年の週間練習量に比べて、5時間くらい練習量を増やして練習した(バイクは週3時間増し、ランは週2時間増し)。トライアスリートとして、いままで以上にベストな状態に仕上げて行けてたことも感じられた。3種目ともに、自身の体力も、レースに近づくにつれて、平均的にバランスが取れていることもわかり始め、スイムはスピードが少し落ちたが、ランは強化できた、そして、昔はただコンスタントに練習していた以上に、バイクに時間を費やしたことで、とてもいい感じにすべてが整っていった。でも、足の怪我の痛みの面影と脚の筋肉の固さがレースの週に近づくにつれ、少し心配しつつも気になっていた。
前にも書いた通り、今年(2011年)始めに、しっかりとした治療をしたにもかかわらず、腸内寄生虫(ブラストシスチス・ホミニス菌)にかかり、うまく治すことができずにいた。ハワイから数ヶ月前に、これがまた再発し始め、かなりの不都合な影響を受けていた。快調に走れるようになるまでに、時には3回程ランニングを試みるが、そのランの途中にまだ足を止めてしまうこともあった。いつも通りに元に戻ってくれるだろうと思っていたが、ハワイのレース週に入ってからレース当日まで良い感じを得ることはできなかった。毎日の食生活、レースの朝やレース中、どのようにに過ごして、どのように感じるのだろうか気にかけていた。
レースの9日前の9月30日金曜日にコナに到着した。次の日の土曜日に、3時間程バイクに乗り、バイクがそこまで強くなっているとは感じなかった。バイクコースの大きな高低差があるクイーンKハイウェイからクワイハイまでの折り返しで、心拍数高めで、パワーを押し続け走ることはできた。日曜日は、バイクの疲れが残っていたので、40分間気持ちいい程度のスイムをし、エナジーラボの近くに行き75分ランをしたが、途中急にトイレに行きたくなり止まってしまったこともあった。そのラン練習では、あまり調子が良くなかったが、最後のラントレーニングをできたことと、自分の脚が何とか走れることがわかったのは、嬉しかった。レース前の水曜日に40分ジョグをしたのが、唯一の最後のランニング練習だった。
テイパーについてかなりの心配をしていたが、レース当日に向けての体力と健康状態にだんだん近づいていった。木曜日にバイクに乗り、金曜日は完全に休息を取り、過去の年よりも早めに、すべてのレース用のギアが揃っており、特にZippやSramのスタッフによってバイクもしっかりすべて準備してもらい、スポンサー達からの素晴らしいサポートは、有難かった。
内蔵のことを気にして、レースの前日は軽く食べたが、レースの朝家に出る前に、6回もトイレに行きたくなって、レーススタート前にも1回済ました。こんな状態だったが、かなりリラックスして、ハワイで再度レースできることに嬉しくなった。先週の日曜日から素晴らしい妻と、木曜日から両親が来て、他に5人のベストフレンド達が、レースの週に訪れてくれた。近い存在の人たちが一緒にいて、とても安心できたのは間違いない。自分がこれからレースすることについて、とても興奮している彼らを見ていると、とても謙虚な気持ちで、人生の良い瞬間であった。何も特別なことではなく、平穏ではっきりとした思い出の瞬間だった。
スタート15分前に、ビーチに向かい、目の前にある仕事に集中する様に立ち上がり、ウォームアップのストレッチをして、他のプロ選手達と同じ時を過ごした。スタートが近づくにつれ、特に気にせず、足下がつかないスタートラインに向かって泳ぎ始め、どこでもスペースがある位置についた。すぐに、自分の周りが少し混み合ってきたことに気づいた。たぶん、Chris McCormackが、去年自分の隣でスタートして、いままででベストスイムができたと言う情報を読んだのか、聞いたのか、数人のプロは、自分が強いスイマーだと知っていて、近くでスタートしようと見張っていた。その他のプロ達も、スイムスタートでドラフティングを有効に使おうとしていた。スタート1分前、広いスペースがある場所に、左方向20メートル先に、すぐに泳ぎ始めた。スタートの大砲が打たれ、できるだけ速く泳ぎ飛び出し、すぐに隣にいた選手達を引き離した。数百メートル泳いだ後に、数メートル左側にもう1人のスイマーを見つけることができ、それはAndy Pottsだとわかって、彼の足に付こうと向かった。Andyと自分が、他の選手達との差を開き始めるまで、レースは、1分程で一つの繋がったパックができていた。自分のレースプランは、スイムパートでAndyの後ろで泳ぐことだったが、700メートル程行った所で、Andyが引き離し始めたが、自分が十分に満足できるペースで泳ぎ、後方のパックと先頭の間で、1人でリラックスして泳いだ。イージーに泳いでいたら、2.5キロ地点で、後ろのパックに追いつかれた。そのパックの先頭を引きながらも、まだかなりのイージーペースで泳ぐことができ、隣にきた選手と並泳しながら、残り400メートルでペースを上げ、少し余裕を持ってトランジションをするために、スイムフィニッシュを2番手で上がって来ることができた。
スイムでは、実際本調子だったとは感じなかったし、トランジションからバイクに乗るまでの間も良い感じではなかったが、あまりそのことは深く考えすぎず、これからまだ長い日が続き、回復するまで十分時間はあると思った。クイーンKハイウェイ(メインバイクコース)に入った後、相当な時間を集団の先頭で激走していて、最初の引き離しが始まるのを待ちながらも、先週の土曜に乗ったバイクの感じで、自分の能力を信じながら、体が暖まり始めるのを願っていた。誰も集団から飛び出すことはなく、徐々に25人のパックの15位くらいまで下がっていた。パックの中では、簡単に付いて行くことができたが、でも滑らかな坂を上がって行くにつれ、パックの間が開いていき、他の選手は、坂の下りを使って差を詰めるために駆け下りることをしていたが、自分自身は登り坂ではかなり余裕で登ることができ、簡単にそのギャップを縮めれることができた。約70キロ地点のある一つの上り坂で、自分のパックの先頭にいた選手達がスピードを上げ、自分の前にいた3人のパックと先頭のパックの間が開いたのを見ていなかった。自分の周りにいた選手達は、すでに疲れ始め、ただ1人の選手だけが、自分の前を走り続けていた。その差を詰めようと、調子良く乗リ始め、Hawi(折り返し地点)までの上り坂と向かい風の中、前と差を詰められたが、それだけでは十分ではなかった。一度折り返し地点を回ってから、自分の前にいる選手達に、下り坂の追い風の場面で追いつくチャンスを掴めず、それは自分にとって得意な分野ではなかった。
それからくじけ始め、自分自身にとって、今日は調子が悪いだとか、いい日ではないと考え始めた。途中降りて、精神と体力的な調子の悪さから取り戻すことできただろう。でも、Rasmus HenningとFrederick Van Lierdeが抜かされてから、彼らに付いて行き、乗り合ってトランジションまで戻って行った。前の選手達に10分くらいのロスはしただろうと感じられて、バイクパートはかなり遅いと感じた。トランジションに入り、それなりの行動をしたが、バイクを終えれたことに、かなり比較的にも速い段階で、本調子が戻ってきた。ボランティアが冷たいウェットタオルを頭にかけた所で、そのボランティアの1人が「Craig Alexanderまで5分差だ」と言った。たった5分差なんだと思い、自分が遅いと思っていたバイクパートながら、かなりいいニュースだった。トランジションを飛び出し、それから良いペースを作ることに集中した。
今年は、前の選手との差を掲載したり、どのくらいの速さで走っているだとか、邪魔されないようにしようと、時計を持たずに走ろうと決めていた。だた単に、走りたかった。最初の5キロはかなり灼熱で、筋肉は固まっていたが、調子のいいペースになってきた後や、氷や水、スポンジをエイドステーションで貰ったりしてる内に、灼熱も我慢できるよになり、ほぐすようにランを楽しみ始めた。パラ二ロード(急坂)の頂点のクリーンKハイウェイ(20キロ地点)の前まで、自分が4位だとわかり、21キロ地点では、3位になっていた。Chris McCormackとNick Gatesが、自転車でコースにいて、『勝てるぞ』と自分に叫んでいた。前にいる他の選手達よりも、ランニングを走れていて、先頭に追いつけるだろうと、二人からだけでなく、他の観客からも言われた。全然信じられはしなかったけど、ずっと走り続けた。
エナジーラボのランコースに到着してから、Andreas Raelertを目視でき、それは信じられなかった。2位に上がれると思い、エナジーラボの折り返し地点で彼を抜き去り、彼はその後すぐトイレに直行していった。自分の運の良さが信じられなかった。絶好調な感じで、近くにいた敵はトイレ休憩し、楽勝だとそう思った。
去年エナジーラボから折り返し登ってくる場面に悪い思い出があり、頂上のエイドステーションで歩くだろうと思っていた。先週のラントレーニングで、この坂がキツいとはわかっていた。そして、いま2位に着いて、同じエナジーラボのコース区間で、絶好調と感じていた所から、絶不調へと変わって行った。クリーンKハイウェイへ登り入ってから、脇腹が痛み始め、他のどのレースでも、何も気にならない様な痛みが起こっていたことはあったが、今回はスピードが持続的に落ち、痛みが大きくなっていた。トラブルになり、2位を持続する場合ではなく、ただフィニッシュまでたどりつくことだった。早急な痛みのコントロールをし、リラックスして、もっとつま先で蹴り込むように、モモよりふくらはぎに負担がかかるように走り、3つのエイドステーションで歩き、体にリラックスさせる時間を与え、水や氷、冷たいスポンジで冷やしながら、精神的にもリラックすさせていった。痛みや気持ち悪さを持ちながら走り続ける精神的な負担やずるずる滑らすように走り方を保つのは、相当困難で、ストレスも溜まり、心拍数も効率的なレベルを超えていた。
後5キロの所で、Andreas Raelertに追いつかれた。3位をキープし走り続けるかどうかその時考えていた。だが、Andreasに走り抜かされ、彼について行かなければと思った。最低でも、トライしなきゃと。そして、ここでは経験と自信が要素になる。ずっとこの場で戦ってきて、誰かに抜かされるということは苦痛だったし、付いて行こうとする努力や、自分を深く追い込むことで、いつもそこに何か起こると知っていたし、数分だけでも、すべては自信と自分自身をコントロールすることで左右される。背筋をのばし前傾になり、腕を振ってストライドの数を上げることに専念し、Andreasとの4メートルの差をすぐに詰めた。そして、面白いことに、ゆっくり走るよりかは、しっかり力強く走る方が楽に感じ、ペースを上げて、Andreasを抜かし返した。最後の5キロはスプリントフィニッシュをスローモーションにするようだった。下り坂に差し掛かると、モモがいままで以上に苦痛になると分かっていたし、最後の1.5キロは、相当タフで不可能に近い走りになると思ってたので、パラニロードの坂の頂上に付くまでは、絶対後ろを見ることはしなかった。
フィニッシュに近づくごとに、坂を下り走ってると、険しい顔をしている間にも、少しだけ笑顔を振りまけたと思ったし、3位がどこにいようと、2位を走っている自分がそこにいて、世界選手権での表彰台を確信した。それは、素晴らしい気持ちで、この感情が終わることはなかった。すぐにフィニッシュし、オーストラリアの伝説Greg Welchにインタビューをされ、2年連続で最速ランラップタイムを勝ち取ったと知らされた。それは、素晴らしいニュースだった。今年は、時計をしなかったし、どのくらい速く走ってるとか、いろんな意味で邪魔されたくなった。だた単に走りたかっただけだった。
2位でフィニッシュしたのはかなり嬉しかったし、ただもう1人(Craig Alexander)だけが、この地球上のロングディスタンストライアスロンで自分より勝っていたということだった。反対側のフェンスに、家族と友達といるJamie(妻)を見かけ、彼女を抱きしめたが、この感情を信じることができなかった。苦痛を終わらせたことや、Jamieがここ数ヶ月このレースと自分自身に対して犠牲を伴ってくれたことに価値があった。このレースのために、奇妙にも色んな変化が起こったことを、いまそのすべてを忘れられる。そして、残りの年は、とにかくできるだけ遊んで、健康的なトレーニングを積むことにした。サーフィン、ゴルフ、食事と飲み会、アイスクリーム、そして今年中にできなかったことをする。
サポートしいつも気をかけてくれるJamie、毎年コナに見に来てくれる両親、この旅行は最高なものになると伝えたことで、今年この場に足を運んできてくれた親友達に、すごく感謝したい。
2012年シーズン
今年のシーズンも怪我に悩まされ、去年同じような流れで過ごしているように感じる。シーズン初めから、Urban 2.80.20 ロングコーストライアスロン(ハーフ)にて、5位に終わったが、その後調子を戻し、Huskinssonロングコース(ハーフ)とNew South Walesトライアスロンにて優勝することはできた。だが、その間に、すでに怪我の兆候が背中とヒップの痛みとして抱え始めていた。それから、怪我を直すためにエキスパートに見てもらった結果、出場を予定していたIronman Melbourne大会を見送ることを決断した。
この怪我を治すための相当の時間を費やし、シーズン早々、残りのレースプランを考える必要がでてきた。去年からプロランキングシステムが導入され、とにかくレースへでて、ハワイへの権利を得なきゃいけない状況で、かなり切迫することになる。Ironman Cairnsに間に合わせ、出場も考えていたが、長引く怪我と不安が募り、この際は安静をとり代わりにIronman 70.3 Carinsに出場し優勝することができた。
それから十分な期間としっかりとしたリハビリを得て、最後のチャンスとして、アメリカ国内のレースへ出場し、コナへの権利を得ることに決めた。始めてのアメリカ遠征として、最初のアメリカでのレースは、Ironman 70.3 Syracuseに出場し、この場でこのPete Jacobsがどこまで復活し、優勝を勝ち取れるかが注目だった。だが、結果は、4位に終わり不安要素がさらに高まってしまった。その時、脱水症状を伴う病気にかかり、再度シーズンの最悪な場面に直面してしまう。
だが、その際、プロランキング50位内でも、最低1度は、Ironmanレースに出場しないと、ハワイの出場権が与えられないということで、無理をして、7月のIronman Lake Placidに出場を決めた。ただ単に、完走が目的で最初からゆっくりのペースで走り、マラソンで歩くも、2位でフィニッシュすることができた。
コナランキング制度が導入されたことで、プロアスリート達にとっては、怪我を負ってしまうことで、目標とているハワイ世界選手権への出場が危ぶまれたりと、レースのプランとリカバリー(回復)をしっかりすることが、シーズン中の怪我の予防として、最重要になってきている。Pete Jacobsの場合、前年度にハワイ出場を果たしトップ10に入ってるいるためある程度の高いポイントを稼いでいるのが幸いして、今回もこのハワイを最重要レースとして、目標を定め、トレーニングのプログラムだけではなく、ペインマネージメント(怪我の管理)もしっかりこなしてきたことで、10月のハワイ世界選手権に合わせてベストなパフォーマンスに近いものに2011年はすることができた。
だが、2012年の彼のシーズンは、ハワイ世界選手権に近い時期に、遠征し、レースへ出場することは、体力的にも、体を蝕んでいるように思え、多くの不安を読んでいる。それでも、彼には同じ経験と実績があるのは事実で、その対処法を知り、何が自分に必要なのかを分析できる能力を持っている。細かくトレーニングの内容を書き出し、過去と比較して、弱い部分を強化し、次に繋げることを重要視して、毎年実力を上げてきている。最近のブログでは、彼のトレーニングはうまく進んでいるようだ。現在、地元のオーストラリアで、距離と質のいい練習を重ね、世界選手権に向けて、すべてうまくいっている模様だ。今年は、去年練習を重ねることができなかったバイクでの体力を主に積み重ね、ランも去年と変わらないランの強さは残っていると語っている。
実際2011年にも怪我等に悩まされ最後の2ヶ月で、世界選手権2位を獲得する程の体力と調整をできる経験のある選手なので、今年もこのラストミニッツトレーニングが、うまく波に乗ることができれば、表彰台もしくは、優勝することも不可能ではないので、今年も素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることに注目したい。
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