このストーリーは、去年にChris McCormackが出版した自伝本の「I’m Here To Win」で明かされた一つである。もちろん日本語版が発表されると言う話はないが、ここで少しだけ紹介したいと思う。
オーストラリア代表で90年代後半は、世界ショートコースチャンピオンで、2007年と2010年アイアンマンハワイ覇者、Chris McCormack(通称Macca)とドイツ代表で2004年と2006年アイアンマンハワイ覇者、現バイクレコードホルダー(4.18.38)の Norman Stadler(通称Norminater)の二人の間で衝突事件が2006年のアイアンマンハワイ開催時に勃発した。
今では、この話は有名な話題の一つだが、このカリスマ性を持つMaccaと気性の荒いNorminater、二人の性格を元に、その時に何が起こったのかを紐解きたいと思う。
Chris McCormack : パーソナリティー(性格)=ストラテジー(策略)
2002年にアイアンマンハワイデビューを飾ったMaccaは、ショート(現オリンピック)ディスタンスから来た、スーパースターとしてカリスマ性をこの当時から持ち合わせ、急激に90年代後半の世界のトライアスロンシーンに登場し、当時のレースを総嘗めした。
シドニーオリンピックに参戦することができなかったため、2002年に、アイアンマンオーストラリアでアイアンマンディスタンス初参戦ながら、初優勝しスロットを獲得した。2002年のハワイ世界大会では、新人ながらも、レース前日のプレス会見で、必ず優勝する(I’m Here To Win.)と言いビッグマウスさを披露し、過去優勝者のプロの横で、堂々とした格好を取っていた。
だが、レース当日になると、経験不足とコナ特有の気温の熱さに負け、ランパートでDNFという結果に終わり、このことからMaccaは、Cocky(うぬぼれたやつ)やArrogant(無礼なやつ)として、アイアンマン界で周りから見られるようになった。
この経験値のなさから、2002年から2005年までは、DNFが2回も続き、トップ10入りで終わっていたが、I’m Here To Win. 「ここ(ハワイ)で優勝するためにいるんだ。」と会見等で、毎年言い続けた。
ここでふと思うが、2002年にアイアンマンデビューしてから、2007年のハワイ世界大会で初優勝するまで、ましてもDNFさえもして、この言葉を言い続けたのかが疑問に残る。
それは、彼の頭の良さにあった。トライアスロンプロデビューする前は、アカウンタント(会計)先攻で大学も卒業し、卒業後数ヶ月だけ、スーツを来て会社に就職した生活を送っていた時期もあった。
ただ、彼の勉学の頭の良さを言いたいわけではなく、彼自身に「自分を信じる気持ち」、そう、荒れんばかりの自信がその当時あったから、親からのプレッシャーもあったが、迷わずトライアスロンの道に進んだ。自信とモチベーションを最高潮に高められるという点では、Maccaは他の選手よりも優れている能力だと思う。そして、誰よりも他のライバルのレースや特徴を、こと細かに分析する選手でもあり、勝利のためにできることは、学ぶことを絶やさない。
メディア会見では、必ず自身のレース当日に、どういう策略で優勝するかを細かに発言し、他の選手と自分を比べる。例えば、「俺は、スイムはまぁまぁだけど、バイクは他の選手の誰よりも強いから、そこで引き離す、そして、得意のランでそのままフィニッシュするつもりだ」。そういう発言をし挑発された他の選手達は、レース当日、バイクパートで引き離そうとするMaccaのペースについて行こうとする、そして、ランパートでバイクの弱い選手達は、バイクで使いすぎた足がランに繋げられなくなり、最終的に、彼の策略にまんまと乗せらてしまう展開になる。他の選手達は、比べられたことへの動揺や焦りを引き出されたことで、Macca自身は、これを良い展開へ持って行けたことが、ショートディスタンス時代には、大きく有効な策略であった。
だが、これは、ショートディスタンスレースの高速化が現在みたいに、まだ進んでいなく、アメリカ国内は、特にドラフティングなしのレースも多かったため、この時代の短い距離のショートだけに通用する策略であったと思える。
アイアンマンレースに転向後3年くらいは、ハワイの世界大会に関して、思うようにうまく行っていないように見えた。しかし、経験を積み、自分の弱点を研究し、克服していった。そして、そのビッグマウスぶりは、ただハワイ大会でのメディア会見上だけではなく、年中メディアからの特集やインタビュー等を通して、他の選手との比較や自身過剰に見える発言を繰り返し行っていった。
実は、これも策略の一つである。
それは、まさにボクシングマッチの様なもので、会見上でお互い権勢しあい(Maccaの場合一方的だが)、本番で言ったことを有言実行し、勝利を証明することでカリスマ性を上げていく。そして、逆に相手選手から自分についての批判等を言われると、それを不安要素で受け取るのではなく、怒り(闘争心)へと変え、本番へのモチベーションとして持って行くことができる。Macca本人も、伝説のボクサーのモハメド・アリから多大な影響を受けていて、こういうスタンスやパーソナリティーを自分自身で作り上げていった思う。
Norman Stadler : プレッシャー= 焦りと怒り
Norman Stadlerは、90年代は、ジュニア選手としてドイツ国内のショートディスタンスで活躍し、元デュアスロンの世界王者でもある。だが、スイムが弱点の故に、1998年にアイアンマンZurichでアイアンマンに転向し、2000年以降は、毎回トップ5入りで活躍してきた。
3種目の中で一番の強みは、バイクパートであり、いまだに破られていない2005年のバイクレコード(4:18:23 – 平均時速41K)を達成した人物でもある。ランは、3時間を切ったことがないが、得意のバイクの速さで後ろの選手との差を広げ、ランで逃げ切るというスタイルを確立した選手の一人である。2004年と2006年大会も彼の戦略通りに、アイアンマン世界大会優勝を勝ち取った。
それ以降は、トライアスロンプロチームのCommerzbankにもリーダー的存在の選手として所属し、アイアンマン界にて、他のトッププロをチームメートとして共に引っ張ってきたが、2011年7月に心臓の手術のため引退してしまった。
彼の性格を言うと、すでにご存知の方もいると思うが、アイアンマンDVDにも気性の荒さをまじまじと見せ、バイクを投げ飛ばしたり、汚いドイツ単語を発言したりとこういう印象が深く残る。そういう気性の荒い言動から、ターミネーター(Terminator)をもじり、”Norminater”と名付けられた。
現役絶頂期の2004年にハワイ大会を優勝して以来、スポーツに関してとても熱いファンが多いドイツ国民から、勝つことへの相当なプレッシャーがかかっていき始めた。現在、大会名は変わってしまったが、ドイツで毎年あるChallenge Rothという大会だが、昔はIronman European Championshipとして、アイアンマン公式のヨーロッパ地区選手権大会として開催されていた。その当時、ドイツ代表として、必ず優勝をしなくてはいけないという、ドイツのトライアスロン協会や熱狂的なファンからの期待で、現地の大きなプレッシャーに押しつぶされてしまう彼は、2005年からこの大会に出場し優勝しているChris McCormackには、毎戦勝ったことがない。
ライバルとしてMaccaを敵対し、プレッシャーや怒りに耐えられなく、ドイツでの勝利を掴めないNormannだったが、そのプレシャーを取り巻くのは、Norman Stalderだけではなかった。やはり、その当時2005年にハワイ大会を優勝した、同じくドイツ代表のFaris Al-Saltanに関しても同じようなプレッシャーが初ハワイ優勝後の大会に響き、この後のMaccaとNormannの衝突の引き金の人物として重要な役目を果たす。
2006年ハワイ大会
この2006年のハワイでの世界大会の時は、右肩上がりの調子だったChris McCormackであり、2005年にバイクパートでリタイアで終わってしまったNorman Stadler、そして前年度優勝者のFaris Al-Saltanの直接対決がこの大会での見所であった。
ようやくMaccaは、2005年のハワイ大会で、バイクだけが強みだけではなく、ショート上がりのランの強さも、ランラップ:2:49というトップタイムで、歴史上一番熱かったハワイ大会にて、6位でフィニッシュした。熱さに弱い部分を克服し、翌年2006年の大会優勝候補として主張できる様なパフォーマンスを見せた。
そして、Stadlerは、2004年の優勝者だったが、2005年にバイクパートにてリタイアという失態を見せてしまったことにより、2006年では優勝しなければならないと言う、大きな期待が前年度優勝のFaris同様にかかっていた。
スイムパートでは、スイムが弱いと言われているStadlerが上位で上がってきたことで、Maccaに大きなプレッシャーをかける。そして、その事実を知らなかったMaccaは、バイクコース上で、”Who’s that up ahead?”「先頭にいるやつは誰だ?」とFaris Al-Saltanに聞いた。そして、”It’s fucking Normann,”「くそノルマンだよ」と答えたようだ。
その時、バイクで同じパックにいた誰もが信じられない光景であったが、Maccaは、焦らずに先頭のパックに居続けることにした。そのまま、Stadlerを一人で行かせたまま、Maccaは自分のランに自信を持っていたため、Farisと同じパックでHawiの折り返した後、Normannが徐々に差を広げていることがわかった。Farisがその事実を聞き、「時間を無駄にしてる」と周りに独り言のように怒鳴り始めた。
バイクパート終了した時点で、すでに11分の差がついており、Maccaは、最初のラン10K地点のAli Driveを走っている時に、バイクコースレコードの事実を聞かされたが、動揺せずに、ペースを耐えることに集中し、追いつこうとしていた。確実に、Normannとの差をつめていたMaccaは、35K地点では、11分の差を1分50秒に縮めた。
フィニッシュまで2Kの手前で曲がるPalaniロードの坂を下る前に、Normannが振り返りを後ろを確認し、笑顔を浮かべている様子が見えるくらいに近づいていた。それを見た瞬間に、肉体的に苦痛を超えていたMaccaは、優勝は無理だという精神的ダメージをその笑顔から食らってしまった。
歴史的にも、Palaniロードを先に入った選手が優勝するというジンクスがあったため、残り3Kの地点で、40秒差まで追いついたが、Maccaは2位、続いてFarisは3位になり、結局Normann Stadler優勝という結果で終わってしまった。
その日、Normannは、ランスピリットで、自身過去最高の2;55分のタイムを出したことがわかった。だが、Maccaは、勝利できると確信していたが、最後の3Kでのメンタルゲーム(精神的戦い)に負けてしまったと思う。
バトルの始まり
このレース後のプレス会見で、Macca自身は、Normannに力とメンタルの強さに、賞賛を上げようとした。
“I ran the best race of my life, but I never realized that Normann Stadler was that good.” (いままでのレースで一番の走りだったが、ノルマンがここまで好調だとは思いもよらなかった。)
だが、言い方が少し悪かったため、Normann自身は、これを悪い意味で捕らえてしまったことにより、ことが大きくなってしまった。
3位でフィニッシュしたFarisとNormannが会見後に、二人が会話を始め、その時3位になってしまったことは、Maccaのせいだと言い始めた。そして、二人が話してるドイツ語を聞き取ろうとしたが、その時はただ自分の悪口を言ってるだけだろうと思っていた。
アワードパーティーでは、ステージでトップ10のアスリート達が一人一人握手して、賞賛を讃えるが、Normannが4位のベルギー代表のRutger Bekeの前に来た際、”You know, you’re the best runner in this field.”「この場で一番速いランナーは君だよ。」と皮肉にも、Maccaは、目の前でつぶやかれる様に聞いてしまった。実際、NormannがMaccaの前に来て、一応握手をしたが、アイコンタクトはまったくなかった。
アワードパーティーのステージを後にしてすぐ、知人がブラックベリーの携帯からNormannのインタビューの内容を見せてくれて読み始めた。そこには、驚きの内容が書いてあった。
“Macca should be disgusted with himself, ashamed of himself. What a pussy performance, sitting in the group. I wish Faris had got him, I hate his tactical bullshit. He should have some balls about him.”
「Macca自身、うんざりすべきで、恥を知った方がいい。パック(バイク)の中にずっと居座ってるなんて、最悪なパフォーマンスだ。Farisが追いついてくれればよかった。Maccaのくそみたいな戦略は嫌いだ。彼は、もっと男になるべきだ。」
これは率直に、Macca自身が禁止されているドラフティング(前方のバイクのすぐ後ろにつく行為)をしていることを主張している物だった。だが、プロのレースに関しては、すぐ横に禁止されているドラフティングをチェックする審判が所々にいる。もし、しているならペナルティーが取られるべきだが、Maccaは、いままでのレースでペナルティーを取られたことは、そうそうない。それから、これが噂としてメディア界をかけ回った。
アワードパーティー終了後に、Maccaは、Normannに真相を聞くべく探し始めたが、大勢の人で見つからなかった。聞き込みしながら、あるパブへ寄った際、関係者と一緒のNormannの姿を発見した。その時、そこにいた客や関係者は、殴り合いのけんかが始まると思っていたが、Maccaはそういうことはまったくするつもりはなかった。
そして、Maccaは、「壁の裏でちょっと話さないか?」とNormannに聞いた。だが、彼は、「何か言いたいことあるんだったら、ここで言えよ。」と言った。
「あのインタビューは、いったい何なんだよ?どんな意味なんだ?わかってるだろ、Normann。こっちを見ろよ。」とMaccaが言ったが、見向きもせずにこう言い返した。
『お前なんか尊敬してないんだよ。』
その言葉で、闘志を燃やされたMaccaはこう聞き返した、「尊敬してないって?じゃあ、お前とどこでもレースしてやるよ。場所を選べ!」
Normannは、「昨日のレースは、俺が勝ったんだ。過去に2回も優勝してるし、そのお前は一回も優勝したことがない。」と言い放った。
Maccaは、「昨日のレースに関して、お前とは、何も問題はなかったはずだったが、今の段階ですでに大きな問題になっているじゃないか。お前をこのスポーツから引退させてやるから、覚えとけよ。」と言葉を残した。
そして、周りの大勢の人に向けてMaccaは、「俺は、こいつをトライアスロン界から引退させる。この男がいる限り、これからのレースで一切、俺に勝てることは絶対ない。」
振り返りにNormannに最後こう言った、「お前を叩きのめす。来シーズンは、お前の参戦するどのレースでも見つけてやるぞ。お前と友達のFaris以外に、誰も俺のためにこのスポーツに残るやつはいない。お前ら一緒に引退させてやる。」
そして、Maccaが同様にFarisを見つけた際には、優しくこう言った。「レースはどうだった?どう感じてるんだ?」Farisは、「話かけるな」と返答した。
Maccaは、「そういうことか。しっかりさっき言ったことを聞いたよな。お前を引退させてやるって。これからは、絶対に何があっても俺には勝てない。お前を確実に倒してやる。」
メンタルゲーム
その事件から、2007年のシーズンは、Maccaはこの二人を追いつめるために、まさに、伝説のボクサー、モハメド・アリの様に振る舞った。
それから、FarisとNormannが出る試合には、世界のどの大会へも飛び回った。そして、いきなり登場し、二人を驚かせていた。レース上でも挑発を続け、精神的に追いつめていった。2007年の年初め1月にドバイであったレースでは、Maccaが勝利し、歩いてFarisがフィニッシュした。その際、Maccaは、こう言った「おい、俺と5分も差がついてるのかよ?嘘だろ!コナでの会話を覚えているだろ?これはまだ始まりにしか過ぎないからな。」とFarisに更なるプレッシャーをかけた。
そして、ヨーロッパで一番大きなレースである、Challege Rothとアイアンマンヨーロッパ選手権フランクフルト大会のドイツで開催される大型2レースに絞った。アイアンマンヨーロッパでは、この3人が対決することをドイツファン達が望んでいたが、あえてMaccaは、Challege Rothを選んだ。
その際、Challenge Rothにて、Luc Van Liedeのロングディスタンスのワールドレーコードを破ると宣言し、7時間54分という好記録を叩きだしたが、レコードには数分及ばなかった。
だがその後すぐに、フランクフルトでのレースへ観戦に行き、レース前のインタビューを受けているNormannに対し、大きく手を振り、”Hey Champ!”と呼んだ。インタビューエリアから振り返ったNormannに、「今、注目を浴びてるんだろ?覚えてるよな、コナで約束したこと。俺から隠れることはできないぞ、チャンプ。お前を叩きのめす。待ちきれないなぁ。」とMaccaが言った。
その時、顔に不安を浮かべるNormannの様子がわかった。そして、そこにいた誰もがその事実を知っている。そして、レース当日、二人とも最悪なパフォーマンスで終わり、Normannはリタイア、Farisは6位という結果に終わった。
結末:2007年ハワイ大会
2007年のシーズンは、参加したすべてのレースで勝利し、NormannとFarisを挑発し続けた。その際、いま現在も保管してるFarisの母親から送られてきたメールで、彼をほっといてくれと頼まれる程、精神的に追いつめていった。Maccaの奥さんであるEmmaにも落ち着けと言われるくらいだった。
そして、レース当日、NormannとFarisは、二人とも体調不良でリタイアし、Maccaは、ハワイ大会での初優勝を飾ることができた。そのフィニッシュ直後に、Normannが賞賛を与えに、Maccaの前に現れた。Maccaは、「Thank you very much.」とチャンピオンらしくしっかり返事をした。
その出来事から、これまでNormannとはとても良い関係になっている。
Rivalry (ライバル心)
スポーツに限らずに、どのシチュエーションでもライバルという存在が必要になることが当然ある。それは、チームだろうが個人だろうが、お互いを高めるために必要な要素であるが、このChris McCormackがNormann Stadlerに対してのライバル心は、そのモチベーションを肉体的な強さとして鍛えるだけではなく、また違う方向で、精神面のプレッシャーをかけるバトルや戦略でもあった。
そして、Chris McCormackが2011年シーズンからは、2012年のロンドンオリンピック出場を目指すと決めたわけの一つには、2010年のハワイ大会までにChris McCormackが2度目の優勝を達成したことで、これまですでに2度優勝しているNormann Stadlerの記録へ追いつき、過去に起こった2人のライバル間の約束を守るために、2007年に和解した後も、ずっと続けてきた目標だった考える。
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